はにー の「とんぼ帰りの順天・麗水の旅 ’11年2月」
パート2 潜入!2/527の『光陽ビーチ』乗船記

さてさて、去年の10月末に釜山に行って、年末年始は慶州・ソウル・水原華城。
そしてそして今回の2月と、ここんとこ2カ月おきの韓国旅行。
うーん、なんだか名古屋に遊びに行くより回数が多いなぁ。
ということで、やって来ました下関。
この旅の最初のターゲット、光陽フェリーが出る港街です。
いつもの旅と同じく今回の旅も、例によって前日定時後新幹線に飛び乗って前乗りし、
昼間はまたまた下関観光をしたんだけど、
その模様は後日パート1として書くとして(ちゃんと書くかな?)、
パート2は暫定的に、この海峡ゆめタワーから。

さてこの展望台の高さは143m。
塔の展望台としては東京タワーの250mに次いで、現在日本第2位の高さなんだとか。
ただし現在建設中のスカイツリーの展望台が450mなんで、開業後に第3位になっちゃうことは確定。



海峡ゆめタワーからの(上)『光陽ビーチ』と(下)『はまゆう』

タワーの入場料金は大人600円なんだけど、
展望台の1フロア下のレストランのドリンクバー付きが+200円の800円。
そこで午前中は結構歩き回ったんで、ソファでコーヒーでを飲みながら、しばしマッタリ。
眼下には下関市街はもちろんのこと、
これから乗る光陽行き『光陽ビーチ』と釜山行き『はまゆう』が、下関港に停泊してるのが望めます。

そしてたまたま、『光陽ビーチ』を照らすサンシャワーの写真が撮れました。
これはこの航路に、名前どおり光陽が射す、という吉兆を顕しているんでしょうかね?

さて下関観光も満喫し、やって来ました下関港国際ターミナル。
僕が下関から船に乗るのは、’09年GWに『はまゆう』で釜山に行って以来、1年9ヶ月ぶり。
ということで、ここ下関からは韓国・釜山行き関釜フェリー『はまゆう』/『星希(ソンヒ)』が交互に毎日出ている他、
中国・青島行きオリエントフェリー『おりんぴあ』が週2回出港しています。
そして今回、韓国・全羅南道・光陽(クァンヤン)行き光陽フェリー『光陽ビーチ』の航路が新たに開設されました。

ちなみに、日本の港からの海外定期航路数(※乗船当時)はというと…
・稚内  1航路 →露・コルサコフ(夏季のみ)
・大阪  2航路 →韓・釜山 →中・上海
・神戸  2航路 →中・天津 →中・上海
・境港  1航路 →韓・東海
・下関  3航路 →韓・釜山 →韓・光陽 →中・青島
・門司  1航路 →韓・光陽(暫定)    →韓・釜山(運休中)
・博多  1航路 →韓・釜山
・厳原  1航路 →韓・釜山
・比田勝 1航路 →韓・釜山
航路数だけでいえば、下関は3航路が就航していて、全国第1位の国際港なのです。
なので、イミグレ内に免税店があるのは、毎日就航便がある博多港と、ここ下関港の2港だけ。

ちなみに×2、過去の全羅南道発着航路について調べてみると、
1990年4月~91年8月、博多-麗水(ヨス)に、福岡国際フェリーの航路があったみたい。
なのでこの光陽フェリー、大きな意味で20年ぶりの航路復活といえるかな。
http://teikisen.blog84.fc2.com/blog-category-418.html(定期船氏『定期船ブログ』)
(福岡国際フェリーは琉球海運(RKK)と韓国企業の合弁会社で、就航船はRKKの『ごーるでんおきなわ』。
『ごーるでんおきなわ』は那覇-博多航路にRKKの船として就航してたんだけど、
博多まで来ると、そのまま福岡国際フェリーの船として麗水まで運航してたみたい。
なのでリンクのパンフの写真には、船体にデカデカと「RKK」の文字があるわけで。)


ところで日本のお正月は1月1日からだけど、韓国では旧正月の2月2日から。
そこでこの光陽フェリーは、韓国人乗客が多数見込める旧正月にターゲットを合わせて、1月23日に開設されました。
ということで今日2月18日(金)は、まだまだ開設したてホヤホヤ。
ただ当初の予定通り12月に開設してくれればなぁ。
そうすれば日本人である僕も、年末の旅行の時に利用できたのに。

「さーて。きっぷ、きっぷ…」
電話予約してあるチケットを買おうと、2階チケット売り場に。
そこには関釜フェリーとオリエントフェリーの窓口が仲良く並んでいるのです。
なので光陽フェリーの窓口もこの並びに増設されたんだろうと思ってたんだけど…
「あれっ?光陽フェリーの窓口はどこだ?
ところが、並びにどころか2階のどこにも見当たりません。
「あのー、光陽フェリーの窓口はどこですか?」
仕方ないので案内所で聞いてみると、座っていた在日のオッサンが、ふてくされるようにして指を下に指しました。
「えっ?1階にあるの?」
前回来た記憶では、1階には広々としたロビーがあるだけで、何にもなかったはずなんだけどなぁ…。
半信半疑で階段を下り、1階に行ってみると、
「あ、本当にこんな所にできてる。
光陽フェリーの窓口は、1階入口自動ドア前の空いているスペースに、新たにポツンと設けられていました。
2階は下関駅から繋がっている自由通路で直接入れるし、お土産屋や待合室もあって何だか賑やかだけど、
ここは観光バスなどでターミナルにやってきた乗客が自動ドアから入ってくる時以外、とっても寂しい場所なん

「あのー、電話で予約入れたはにー(仮)なんですけど…」
「はにー(仮)様ですね。ご利用ありがとうございます。
今回はスタンダードルームのご利用ですね。
運賃5000円と燃油サーチャージ800円、それとターミナル使用料600円で、
合わせて6400円になります。」
「あのー、カード使えますか?」
「すみません、現金でお願いします。」
ということで、新規開設航路では当たり前なのか、現金で支払います。
そして一緒に光陽市の観光案内マップも貰いました。

それにしても、スタンダードの片道運賃5000円!往復ならたった9000円!!
こいつはチョー安い!!!
ま、3月末までの開設記念特別運賃なんだけどね。(通常運賃:片道9000円/往復17000円)
だけどこの光陽フェリー、かつてJALにあった「バースデー割引」があります。
誕生月の乗船なら、なんと3割引!
『光陽ビーチ』には例えばデラックスルーム・洋室シングルの設定があって、運賃16000円。
これがなんと30%OFF、11200円(4800円安)に!
誕生月に上等級船室に乗船するのって、狙い目だなぁ。

なんだけど…
こんな美味しい話、全く告知がされてません。
光陽フェリーのHP、新規開設航路の例に漏れず、日本語ページはできたけどほとんど「COMING SOON」。
そしてパンフや張り紙にも一切書かれてなくて。
なので、何も知らずに電話予約を入れた奇特な客のみが、初めて電話口で知らされる驚きの情報なのでして。
日本人客を獲得したいなら、もう少し日本人向けにも情報を発信して欲しいもんだけど。
(というわけで、いち早く『フェリーで海外旅行へ行こう!』の情報ページに載せてもらいました。)


光陽フェリー航路図(パンフレットより) 

「光陽(クァンヤン)、ねぇ…。 」
光陽フェリーは文字通り光陽行き。
なんだけど、チケットを購入して改めて思う。
「光陽ってオディエヨ?(どこよ?)。何がイッソヨ?(あんのよ?)
これまで韓国へは船で何度も行き来したけど、東海(トンヘ)からの一度の帰国を除き全て釜山から。
なので光陽行き、といわれても全然ピンとこないんだよね。
そこで旅行前に光陽市について少しは調べてみたんだけど、
・韓国南西部の全羅南道にある港湾都市で、韓国第2のコンテナ港。
・世界第2位の製鉄会社POSCOの、世界最大規模の製鉄所がある。
・隣接する麗水(ヨス)市で2012年に万国博覧会の開催が決定。
とのこと。ということで今回の新規航路開設は
・全羅道在住韓国人が釜山の空港/海港を経由せずに直接日本に行ける。=旅客需要が見込める。
・POSCO製鉄所から日本向けの貨物が期待できる。
・来年の麗水万博に日本人観客を呼び込む足がかり。
といった理由からだと思われ。

ところで、光陽フェリーの航路図を見ると、この下関港の他に対岸の門司港も書いてあります。
これはどういうことかというと…
当初光陽フェリーは航路開設にあたり、週3往復の月・水・金の下関寄港を希望していました。
が、水曜日の寄港は認められず。
どうしてかというと、オリエントフェリー『ゆうとぴあ』が水・土に寄港していて、
もし『光陽ビーチ』の寄港を認めちゃうと、水曜日の朝はというと、
毎日運航の関釜フェリー『はまゆう』/『星希』を合わせて3隻がバッティングしてしまい、
イミグレ等がオーバーロード(過負荷)になってしまう、という理由から。
そこで仕方なく下関港には毎週月曜日と金曜日のみ寄港することに。

ということなんで、水曜日寄港を諦めて月・金の週2往復運航にしたのかというと、さにあらず。
下関港の対岸には門司港国際ターミナルがあって、
そこからは釜山行きグランドフェリー『セコマル』が週6便出ていたんだけど利用低迷で運休、
というのは「10年秋の旅日記・パート2」で書いた通り。
そこで暫定的に水曜日は門司に寄港することにして、何とか週3往復運航にこぎつけたのでした。
ただしグランドフェリーは3月にも航路再開したい、と言っていたので、
航路が再開されるかもしれない3月の前月の2月末まで、
そして更に、貨物の積み下ろしはできずに旅客のみ、という条件付きで、なんだけど。
フェリーの稼ぎは貨物があってこそ、乗客をチマチマ運んで利益出るのかなー、と思うんだけどね。

ところでところで、グランドフェリーの3月復活は結局されなくて、
『光陽ビーチ』の門司寄港も3月末までに延長。
結局今後もグランドフェリー復活しなくて、『光陽ビーチ』の暫定寄港が当分続いたりして。
…って思ってたんだけど、これを書いている途中で東日本大震災が発生。
そのため韓国人乗客が僅少になってしまい、乗客のみの門司寄港は中止になり、
結局下関発着の週2往復(着:月・木/発:火・金)だけになってしまいました。
うー、なんてこったい。
とにもかくにも、今回被災された方々に、心からお見舞いを申し上げます。

ところでところでところで、
『日本海』が『East Sea(東海)』、『東シナ海』が『South Sea(南海)』とになっているのは、
日本人としてはいただけないなぁ。
(この歴史的経緯は「09年夏の旅日記・その3の1」を見てください。)



さてさて、光陽フェリー窓口での乗船手続き締め切り時間は16:30。
関釜フェリーの締め切り時間は17:30なんで、それより1時間も早い。
これは新参の光陽の乗客の方を早いとこ船に載せちまい、
古株の関釜の乗客とバッティングさせないようにして、イミグレがオーバーロードにならないように、
ということなんだろうな。

そして下関港国際ターミナルがあるのは細江埠頭。
で、毎日運航の釜山行き『はまゆう』/『星希』は、ターミナル目の前の第18号岸壁に接岸し、
また青島行き『ゆーとぴあ』は細江埠頭第21号岸壁に接岸します。
ところが『光陽ビーチ』が接岸を認められたのは、ターミナル対岸の第1突堤第10号岸壁。
ということで、乗客はイミグレを通過した後、用意されたシャトルバスに乗って船まで移動します。
バスは乗客を乗せた後、一度港湾施設外に出て市道を走り、再び港湾施設内の第1突提へ。

僕はイミグレを通過したんで日本には居ないはずなんで、
なのでこのバス車内空間だけは日本じゃないことになります。
だけどその“日本じゃない空間(バス)”が日本領土上の市道を走ってる。
そう考えると、なんだかとっても不思議な感じ。
そりゃまあ、“日本じゃない空間”が日本の領空を飛んでるし(旅客機)、
“日本じゃない空間”が日本の領海を走るんだから(旅客船)、
それと同じじゃん、といわれればそれまでなんだけど。

なぁんて、どーでもいいことを考えてたら、
ものの数分でバスは『光陽ビーチ』の停泊する岸壁に停車し、ワラワラと乗客を吐き出しました。

吐き出された僕は係員に一応一言、
「船の写真を撮ってきまーす。」
と宣言、問答無用で船首の方まで向かって行ってパチリ。
「うー、なんだかとっても懐かしいなぁ…。
(その理由については、あ・と・で。)


ここが今晩の僕の寝床、スタンダードルーム。
見ての通りのインサイド、2段ベッド×5=10人部屋です。
この部屋の乗客は僕を含めて5人で上段は無人。そして僕のベッドは部屋の一番奥。
対面は着替え用スペースだったんでベッドがなくて、その分息詰まり感がなくてよかった!かというと、
実は壁向こうの反対側の部屋が大盛り上がりで、夜遅くまでとっても五月蝿さくて。
でもでも、スタンダード運賃5000円なんで、雑魚寝部屋にされるもんだと思ってたのに、
予想に反してカーテンでちゃんとプライバシー空間があるベッド部屋。
僕は雑魚寝はあんまり好きじゃないんで、これでも充分ラッキーでとてもありがたい。
早速、鞄を自分の(上の空いている)ベッドに置き、甲板に出てみることに。

 

さて、『光陽ビーチ』には
・ロイヤルスィートルーム(定員2名)
・スィートルーム(定員2名)
・デラックスルーム(定員2名/定員1名)
・ファミリールーム(定員6名)
・スタンダードルーム(雑魚寝/ベッド 定員4~16名)
と、各種の等級の船室があります。
他の船室の写真を見たい方は光陽フェリーのHPからどうぞ。
http://www.gy-ferry.com/ship/main2.asp

甲板に出てみると、あたりまえだけど対岸のターミナルに隣接して停泊する『はまゆう』が望めます。
そこで1枚パチリ。
ということで、この距離感ある写真が、
・ぽつんと設置された光陽フェリーの窓口。
・認められなかった『光陽ビーチ』の水曜日の寄港。
・光陽フェリー乗客はイミグレを先に回され、出港まで無駄な待ち時間。
・『光陽ビーチ』の接岸が認められたのはターミナルの対岸。
といった事象を含めて、受け入れた下関側の、
光陽フェリーに対しての期待の大き(くなさ)さを如実に物語っています。

まぁ、それも仕方がないのかも。
光陽フェリー開設前に発行された韓国のネットニュースの記事を翻訳かけて読んでみると、
光陽フェリーは損益分疑点を1航海あたり、
乗客500人(片道なら250人か)、貨物50TEU(1TEUは20フィートコンテナ1個)、
と予測算定した、とのこと。
そしてそこから乗客については、年間6万人・その内2割が日本人、という目標をたてました。

とこるぉが!
この旅客需要は修学旅行学生などから需要が創出される(んじゃないかな)、との勝手な見込み。
そして貨物についてもPOSCOからきっと利用依頼がくるだろう、と予測したもの。
なんだけど、この貨物需要予測、実はPOSCOには全く相談もせずに勝手に出したものらしく…。
POSCOとしては日本向け製品は品質が厳しいため特別な補完設備を持つ船で輸出していて、
そこでその船を所有する海運会社と長期契約しているため、
光陽フェリーに投入する貨物は事実上ない、と知らせ(お断りし)たんだとか。
また他に記事によると、今回の運航会社選定入札には、
光陽フェリー以外の韓国内カーフェリー会社は、妥当性がないとみて入札に参加しなかった、とも。

うーん、大丈夫かなー。
でも4年間に渡り、光陽市・全羅南道・韓国コンテナ埠頭公団から、
120億ウォン(約9億円)もの支援金が出る、とも書いてあったので、しばらくは大丈夫か。
だけど、韓国の会社って、とりあえず当たって砕けろ、イケイケドンドン、なところがあるからなー。
ちなみに光陽→下関の初便の貨物量はというと、海産物が約260kgのみ。
門司では貨物扱いできないから大丈夫かなー、なんて心配してたんだけど、全くもって杞憂でありました。
残念ながら地震の影響で、門司寄港自体がなくなっちゃったし。
そしてそして、日本人乗客を2割見込むんなら、もう少し日本人向けのアナウンスもしましょうよ。

ところでところで、こうして甲板に出てみて、改めて思うこと。それは…
「それにしても。なんだかこれから韓国に行くって気が全くしないなぁ…。
(この理由についても、あ・と・で。)

これが『光陽ビーチ』のインフォメーション。
ここでは3人のパーサーが交代で対応されていて、僕は勝手に
「スリービューティ」
と呼んでおりました。
そして一人旅で寂しい僕は、何かというとお姉様方に質問をしたり、たわいのない世間話をしたり。
(お邪魔して申し訳ありませんでした。)

そこで、フェリー乗船で毎度の質問を。
「あのー、今日のお客さんは何人ぐらい乗っています?
あと日本人はその内何人ぐらいですか?」
「本日のお客様は527名です。その内の日本のお客様はお二人ですね。
「じゃぁ僕はその二人の内の一人ってこと?
「そういうことになりますね。」
うー、日本人客たった二人かよー。
実は今朝の下関到着便には光陽市長や市議約20人からなる下関市表敬訪問団が乗っておりました。
(今朝ホテルの朝飯食いながら山口のローカルニュース見てたらやってた。)
またこの翌週には、逆に下関市民訪問団が光陽市を訪れることになっておりまして。そこで、
「表敬訪問団に付いてきたんだけど、これから来週の市民訪問団の受け入れ準備をしなきゃならないんで、
そのままとんぼ返りで帰国なのヨ。あー忙しい!」
とおっしゃってた光陽市の女性担当者の方に翌朝話しかけられたんだけど、
日本人と一緒だったみたいなんで、僕以外のもう一人の日本人は多分下関市役所の関係者の方だと思われ。

ということは、この便の日本人の一般客はなんと僕一人。
だけどこの僕も、この旅日記を書くために、写真をパチパチ・ネタをメモにカキカキしてたもんで、
どうもどこぞの記者かなんかだと思われていたみたい。
(なので先程の光陽市の女性担当者からも話しかけられたわけで。)
ま、今回の旅行はこの『光陽ビーチ』に乗ること自体が主な目的だったんで、あながち間違ってはいないんだけどね。

ということで、この写真のオネーサンと世間話してたら…
「あのー、記者の方ですか?
「いえいえ、ただの船旅好きの一般客ですけど、どうして?
「お客様、以前『セコマル』にも乗船されましたよね。それで記者さんかなーって。
「エッ!どうしてそれを?
「実は私、『セコマル』から移ってきたんですよー。
私のこと、覚えていらっしゃいませんかー?
「えー、そうだったんですか~っ!
『セコマル』、いい船だったのに、たった7ヶ月で休航になっちゃうなんて、
もったいないですよね…。
「どうも韓国と中国を結ぶ航路に売られちゃったらしいですよ…。

何とこのオネーサン、『セコマル』からデューダされていて、
僕が『セコマル』に乗りに来てたことも覚えていてくださいました!
残念ながら僕はオネーサンのこと覚えてなくて。スミマセン。
そっかー、『セコマル』は韓中航路に売られちゃったのか。
でも『セコマル』は
 川崎⇔宮崎        パシフィックエキスプレス(日)
 平沢(韓)⇔日照(中)  KCレインボー(韓)
 釜山(韓)⇔門司(日)  セコマル(韓)
と、『パシフィックエキスプレス』と『セコマル』の間に
『KCレインボー』として韓中航路に就いていたこともあったんで、元の鞘に収まったともいえるか。

※追記:転売先判明しました。
日照(中)⇔平沢(韓)  日照東方(中)
転売先は中国の船会社で船名は変わったけど、
『KCレインボー』として就役していた日照-平沢航路に100%出戻り。
こんなケースもあるんだなぁ。

さてさて、光陽フェリー窓口の乗船締め切り時刻は16:30。で、僕がチケット買ったのは、ギリの16:20頃。
そしてイミグレを通過し、シャトルバスに揺られて『光陽ビーチ』に乗り込んだのは17:00ちょっと過ぎ。
そしてそして、しばらく甲板に出てボーッとしてたんだけど、
船は一向に出港する気配がないんで、インフォメーションで出港時刻を聞いてみると、
だいたい18:30から19:00の間、とのこと。
ということで、乗船から出港までは1時間以上の待ち時間があるわけで。
そこで出港まで、例によってコンビニでメッチュ(ビール)を購入することに。
ちなみにコンビニの営業時間は、
19:00~23:00 & 7:00~9:00
と書いてあったんだけど、乗船したらコンビニはもうOPENしておりました。

「あのー、メッチュチョセヨー。(ビールくださーい。)」
置いてあったのは、日本代表スーパードライ、韓国代表ハイト、そしてオランダ代表ハイネケンの3銘柄。
そこでお馴染みスーパードライとハイトの350ml缶を購入することに。
「えーと、スーパードライ&ハイト、オルマイムニカ?(いくらですか?)」
と値段を聞いてみると、
「スーパードライ350円、ハイト300円。」
とのこと。
「うわー、免税価格ではなくて、かなり割高だなぁ…。
とは思ったんだけど、それはそれ、観光地価格と割り切って1本ずつ購入。したんだけど、
「スーパードライ&ハイト、ウォン、オルマイムニカ?(ウォンだといくら?)」
って聞いてみると、
「スーパードライ3500W、ハイト3000W。」
とのお答え。なんと計算しやすいように、一昔前の1円=10Wで換算してるのだなぁ。
今回の正規のレートだと1円≒13.12円なんで、これで換算してみれば
スーパードライ3500W≒267円、ハイト3000W≒229円。
うわー。しまったぁ!
円買い大損。前回の余りウォンで買えばよかったぁ。
ということで、これ以降の船内の支払いは全てウォンですることに。


(↑セコマルの時の写真)

さてさて、話は逸れますが…
旅行記書いてない航路もあるけど、実はこの『光陽ビーチ』で、最近2年間に全日韓航路を制覇。
そこで突然ですが、ここで

この一覧表、自分の足で調べた自信作。それなりに金もかかってるし、かなり貴重なデータですぜ。
(※日本製ビールは、スーパードライの他、キリンラガーまたは一番搾りだったことも。)

まず第1位は何といっても『ビートル』。そして博多港内免税店も同点首位。
なんとも良心的な価格設定なこと。ということで博多から乗船ならビートルに持ち込みは不要だね。
下関港内免税店では缶ビール売ってないんだけど、第3位の『はまゆう』もかなり安いんで問題なし。
第4位の『ニューかめりあ』も安いんだけど、博多から乗船なら免税店で買って持ち込んだ方が更に安いな。
『ドリームフラワー』も安いんだけど、350ml缶しか売ってなかったので、5位に。
ここまでが免税価格。
今は亡き『セコマル』と『パンスタードリーム』は持ち込んだ方が安いな。
釜山港では免税店では売ってなくて、イミグレ内売店はイミグレ外売店と同価格。
なので釜山から韓国製でいいから安く持ち込みたい、というなら港に来る前のどこかの売店で購入して。
(ちなみに韓国製メッチュは一般的に味が薄いんだけど、Cassという銘柄が比較的結構濃い目でオススメ。)
そして『光陽ビーチ』は缶メッチュの販売価格が最も高い。
船内で缶メッチュを売っていない『イースタンドリーム』は問題外だけど。

ということで『光陽ビーチ』は、船内で缶メッチュを売ってない『イースタンドリーム』に次いでメッチュ代が高い船と判明。
これら検証結果、今後乗船する時の参考にしてください。
(ただし値段が変わっていることもあるので、そこは気をつけて。)

ソフトドリンク類は韓国製の物がコンビニでも買える他、
お馴染みKIRINとMEIJIの自販機がロビーなど船内各所に設置。
缶コーヒー/缶ジュース:120円、
水./スポーツドリンク/ジュース/お茶の500mlペットボトル:120円~150円、
牛乳/フルーツ牛乳/乳酸菌飲料等のブリックパック:100円~120円。
市販価格と変わらず。

通路の一角にはTVゲーム機が3台置いてあったんだけど、
乗船直後はまだ電源入ってなくて、ガキどもが何とかしようと奮闘中。

でも、後で通りかかった時にはちゃんと電源入ってて、周りには人だかりができてました。
置いてあったゲームは、格闘ゲーム・鉄拳2が2台と、シューティングゲーム・ストライカーズ1945。
日本のゲーセンと同じく、1回100円。
だけど共に1995年製のかなり古いゲーム機だったなぁ。


(時系列的にはちょっと前後するけど、)
こちらが免税店。
品揃えはタバコと洋酒ぐらいで、あまり多くはないみたい。
営業時間は21:00~23:00と書いてあったけど、
22:00頃にはもうシャッターが半分下りていて、22:50には閉店しておりました。

 

それにしても。
お風呂は乗船直前に下関市内の温泉銭湯に入ってきたばかりだし、レストランはご飯の時に、
ということで後回しにするとして、これが他の船なら、
「よーし。出港まで船内のいろんな所を回って、もっといろんな設備の写真を撮るゾ!」
ってことになるんだけど、この『光陽ビーチ』に関しては、全然そんな気にならなくて。
なのでインフォメーション横の書類記入用テーブルの椅子に座って、早速買ったスーパードライを

イッキに呑み干して、しばしボーッと時間つぶし。

 

船内のどこもかしこも、もちろん韓国語が飛び交っててとても騒がしいんだけど、
ところがところが、それでも全くもってこれから韓国に行く気がしなくて…。
それは船内を歩いていると、
「うーん。なんだかとっても懐かしい感じがするなぁ…。
もしかすると、これが「デジャヴ」ってやつ?
っていう感覚に陥ってしまうからからなんだけど…。

例えば、先程のロビーの写真をもう少し引いてみると、
自販機の横に書かれた「KIRIN」の文字が目に入り、
天井にはレストラン「ダイヤモンドホール」への案内板があって、
まるで国内航路を走る船に乗っているみたい…
うん?「ダイヤモンドホール」?

「ダイヤモンドホール」が「カタカナ」で案内されてるやん!

ということで、ここでネタばらし。
実はこの『光陽ビーチ』、元々は2008年まで
神戸⇔松山⇔大分航路に就航していたダイヤモンドフェリーの『スターダイヤモンド』。

『光陽ビーチ』が『スターダイヤモンド』だった頃の素晴らしいショットが
wakou-ship2氏の『和歌山港シップムーブメント vol.2』にあります。ぜひ参照してください。

新造船の就航により韓国へ売却されて『膠東明珠(ジャドンパール)』という船名で韓中航路に転用され、
その後、新潟⇔韓・束草⇔露・ザルビノで航路開設を目指した北東アジアフェリーが、
傭船しようと狙ったんだけど交渉がまとまらずに破談。
(経緯の詳細は「09年夏の旅日記・その3の1」に書いてあるので、そちらを見てください。)
そして最終的には再転売されて『光陽ビーチ』として生まれ変わった、
という経歴を持つ船なのでありました。


またこの『スターダイヤモンド』、
船型   フェリーダイヤモンド → ブルーダイヤモンド → さんふらわあこがね
姉妹船 クィーンダイヤモンド    スターダイヤモンド    さんふらわあにしき
と建造された、いわば「瀬戸内海航路標準仕様船」の一隻。
僕はこの『スターダイヤモンド』自身には乗ったことがなかったんだけど、
他の僚船には別府や松山旅行で何度も乗ったことがあったので、
そこでおおよその船内配置が手に取るように解るのでした。

今回『光陽ビーチ』として生まれ変わるために、
支援金120億ウォンの内の20億ウォン(約1億5千万円)が改造費として投入されました。
しかし巨大なフェリーの改造費のこと。
かなり徹底的に改造された『イースタンドリーム』には800万ドル(約6億5千万円)、
そして綺麗に改造されていた『セコマル』にも多分それに準じた額が投入されたと思われ。
それに比べて『光陽ビーチ』への20億ウォンはちょっと安いかなー、と思わなくもないけど。
ということで、『スターダイヤモンド』から『ジャドンパール』への時にもほとんど手が加えられなかったこともあるけど、
船内には日本語表示のままの案内板が各所に残っている、ってな状態で。
またコンセントも韓国標準の220Vに改造されている所はあまりなくて、
日本の100Vと同形状の110Vに電圧変更されただけだったんで、
携帯の充電も変換プラグを差し込まずにそのままできるという、とっても楽チンな状態。

というわけで、船内は『スターダイヤモンド』の頃からほとんど変わっていないのでとっても懐かしい感じがするし、
船内配置についても手に取るように解かるので、船内設備に対する好奇心もさほどわかず、
そんなことから甲板に出ると、これから北西の韓国に向かうのではなく、
なんだかこれから東に向かい、瀬戸内海を通って大阪や神戸を目指すんじゃないか、っていう錯覚に陥いるのでした。
(※対岸の新門司から阪神方面に行く航路はあるけど、実際に下関から阪神方面へ行く航路はないです。)

ところで一つだけ小さな疑問が。
KIRINの自販機は所属が下関営業所になっていたので、今回新たに積み込まれたものと思われ。
だけど、3台のゲーム機も今回積み直したもの?その割にはえらく古いゲームなんだよなぁ。
確かに古いゲーム機は中古市場でかなり安く出回ってるんだけど、
どうせ積み直すんだったら、流石にもう少し新しいゲーム機を載せてもいいと思うんだけど。
かといってズーッと載せっぱなしだったとしたら、
『ジャドンパール』として韓中航路に就航してた頃も載っていたという事になるんだけど、
もちろん韓国人も中国人も100円玉持ってないから、載せててもムダなわけだし。
まぁ、どーでもいーことだけど、謎。


そんなこんなの内に時間も過ぎ、インフォメーションで聞いた出港時刻の18:30近くになりました。
そこで甲板に出てみることに。
この1時間で辺りはとっぷり日が暮れて、対岸の『はまゆう』も海峡ゆめタワーもライトアップ。
うーん、とっても綺麗だなぁ。

そして程なくして『光陽ビーチ』はスーっと後進を始めました。
『光陽ビーチ』より目的地が近いからか、対岸の『はまゆう』はまだ停泊したまま。
「お先に行って来るぜ~っ!
って言って、手を振りたくなる気分。

そしてそして、『光陽ビーチ』は港内で旋回し、前進に切り替えて外港を目指します。
旋回のスピードはかなり速く、船尾が大きく回ります。
旋回の途中、フェンネルとゆめタワーが同じアングルに収まったショットが1枚だけ撮れました。

出港すると右舷側に巌流島の武蔵と小次郎の銅像が見えるはずなんだけど、真っ暗で全く見えなくて。
「うーん、『はまゆう』からは見えたんだけどなぁ…。
ま、『はまゆう』乗船はGWの頃だったからもっと明るかったし、仕方ないか。」
ところがその巌流島があると思われる方向の、そのまたもっと向こうに、大きな船の窓灯りが見えました。
「あれ?もう一隻大きなフェリーがいるぞ。
おお!あれはこの前巌流島から見えた太平洋フェリーの新造船・『ニューいしかり』だな。
(「10年秋の旅日記・パート1」も参照ください。)
就航予定は3月13日なので、もうあと1ヶ月足らず。
そしてそれに先立つ下関での船内見学会が2月26日開催予定なんで、あと1週間足らず。
きっともう内装の仕上げもほぼ終わり、最最終チェックの段階だったんでしょうね。

ところで、また話は逸れるけど…
『ニューいしかり』は下関を皮切りに全国各地で見学会を実施後、3月13日に北海道・苫小牧から新規就航。
そして仙台に寄港して目的地名古屋に到着後、3月19日に船内見学会が実施される予定でした。
実はこの名古屋見学会にとん助殿をお誘いして参加する予定だったんだけど…
ところが、3月11日に東日本大震災が発生。
『ニューいしかり』が寄港するはずの仙台港が大津波によって被災してしまったため、新規就航延期。
当然名古屋港での見学会も中止になりました。
そして結局3月25日、仙台寄港なしの名古屋直行、当面旅客なしの貨物のみの運航で、
初出航のセレモニーもなく、苫小牧西港から寂しくデビュー。
そしてそして4月28日からは、苫小牧-仙台間の旅客を含めた営業運航が再開されたんだけど、
そのかわりに福島原発沖を通過する仙台-名古屋間については当面休航されることに。
そしてそしてそして、ようやく6月5日から正常運航されることになりました。

仙台・八戸・大洗といった被災地を発着する航路や、被災地を通る鉄道で、
以前の様に当たり前に乗客が海原を眺めたり車窓を眺めたりしながら旅を楽しめる、
そんな時期が早くやってきて欲しいと切に願います。
そしてそして、今回被災された方々に、心からお見舞いを申し上げます。

さて出港してしばらくすると『光陽ビーチ』は突然スピードダウン、船速ほぼ0の惰性航行に。
「?」
始めは何かあったのかと思ったんだけど…
「そうか、合流ね。」
下関港から出ると、そこにはすぐに関門海峡を横切る関門航路があります。
関門海峡の最狭幅はわずか約600m。
しかしながら、関門航路は東シナ海と瀬戸内海を結ぶとても重要な海路。
ちなみにこの写真は昼間、海峡の最狭部・早鞆の瀬戸(はやとものせと)を、
源平合戦の古戦場・壇ノ浦から撮ったものなんだけど、
岸からさほど離れていない所を大型船がかなりのスピードで通過していくのは、とても圧巻でした。
というわけで、『光陽ビーチ』はこれからタイミングを見計らい、関門航路を走る船列に入ろうとしているわけで。
車で例えると、駐車場から出た車が路地から幹線道路を走る車の流れに乗ろうとしている、ってところでしょうか。
ところでところで、船は右側通行なんだなぁ。へぇー。

こうして『光陽ビーチ』は、左折して瀬戸内海方面に行く錯覚コースではなく、
当たり前だけど右折して東シナ海方面へと行く針路をとりました。
対岸には北九州市街の夜景が続いていて、
上手いことライトアップされたレトロな尖塔と、ネオンが綺麗な観覧車を写すことに成功。
「あれっ?門司港レトロは逆方向だったはずなんだけどなぁ…。
他の場所にもレトロな建物、あったのかな?」
と思ったんだけど、帰国後調べてみると、門司駅近くの結婚式場の尖塔であることが判明。
また観覧車は小倉駅前にあるやつと思われ。

こうしてしばらく甲板で夜景を眺めていたんだけど、
そのうち夜景もだんだん遠ざかってしまったし、
海風に吹かれっぱなしのお陰でとっても寒くなってきたので、
19:00頃船内に退避することに。

ところで、昼食は下関観光の合間に菓子パンを何個かかじっただけだったんで、
乗船直後からモーレツな空腹に見舞われておりました。
食堂の営業時間は20:30~21:00なんて入口に書いてあったけど、
もう18:00頃から韓国人達が食べ始めてたんで、全く当てにならず。
そこで甲板に出る前にインフォメーションで聞いておいたんだけど、
個人客は19:20~20:00、とのこと。
そしてその時になったら日本語で船内放送を入れてくれるって。たった二人のために。

「う゛ー、お腹空いた゛ょー。
空腹ゲージ 
甲板から船内に戻ってくると、僕はまたまたインフォメーション横の椅子に腰を下ろし、
その時が今か今かとスタンバイ。そして
「まだかな、まだかなー?」
と待っていると19:15過ぎ、
「レストランでは皆様のご利用をお待ちしておりま~す!」
と、予定よりも若干早く、待ちに待った日本語放送をパーサーのお姉さんが読み上げました。
(必要としている客は目の前にいるのに。)

待ってましたぁ~!
個人客のメニューはご覧の通り。そしてコンビニのレジで注文をする、というシステム。
僕は4種類の夕食メニューの中からユッケジャン9000Wを注文しました。
(今見るとメニュー、ユックゲジャンになってるなぁ。)

さて『スターダイヤモンド』及びその僚船の特色はというと、船体中央部に全ての公室が集められていること。
そしてその中心が、このレストラン・ダイヤモンドホールなのです。
『光陽ビーチ』ではそのダイヤモンドホールにステージが設けられていて、生演奏のBGMが。
「おおー、こいつはいい!」
ということで、コンビニのお姉さんに
「この席で食べる!」
と宣言して、ステージ近くの空いているテーブルに陣取りました。そして、
「メッチュは注文したら持って来てくれるの?」
って聞いたら、
「生ビールの設備がないんで、コンビニで缶メッチュを買ってください。」
とのこと。そこで言われた通りにコンビニまで買いに行って戻ってくると…
「せ、席がない…。」
ステージ間近のベストポジションのテーブルだったんで、
コンビニに行ったそのわずかな隙に韓国人グループに座られてしまい、
日本の実効支配が及んでないうちに韓国領に。
「しゃーねぇーなぁー…。」
そこでもうちょっと離れたテーブルに座り直したんだけど、
4人掛けテーブルに一人でいれば、当たり前だけど余っている椅子は3つ。
そこに3人のオバハングループがやってきて囲まれてしまい、五月蝿っていったらありゃしない!
とてもこれからご飯が食べられるような環境じゃないので、
せっかくの占領地を放棄し、一番ステージから離れたテーブルに再度の都落ち。

「う゛ー、腹減った゛ょー。
空腹ゲージ 
周りを見渡してみると、一緒のタイミングで料理を注文した個人客は、僕を含めて5人ぐらいしかいなくて。
他にも個人客が何人かいたんだけど、待ちきれずにコンビニで買ったカップ麺にお湯を注いで啜ってる状態。
ということで、ホールにいるほとんどの人達はもう既に夕食を食べ終わった団体客で、
食後のコーヒーを飲んで寛いでいたり、グループで宴会を始めていたり。

ところが、夕食を待ってる我ら5人への料理はなっかなか出てこなくて。
実はダイヤモンドホールの横には、上等級船室客用レストラン・オステンドやセミナー室といった別室があり、
そちらでもまだまだ大勢の団体客が夕食を待っている状態。
なので厨房を覗いて見ると、何人ものコックとウェイトレスがてんやわんやしていたんだけど、
盛り付けられているのは団体客向けの料理で、まだまだ個人客の料理にまでは手が回ってないのは明々白々。

そんな中、ステージでは琴を含めたカルテットが、『Moon River』などの名曲を優雅に奏でておりました。
でもでも演奏は素晴しかったけど、乗客達は全然耳を傾けてなくて喧々囂々。
僕にとっても空腹を忘れて聴き入ってしまう、なんてこともなく、あんまし嬉しくなくて。
高級料理店でならともかく、この環境では言っちゃ悪いけど、全くもってBGMとしては選曲ミスだよなー。

「う゛ー、腹が減って゛るんだよぉー!
空腹ゲージ 
朝と空腹時の5分は平時の15分!なので20分以上は待たせ過ぎ。
さすがにちょっとイラッときてたんだけど、それでもようやくユッケジャンがデリバリーされてきました。

う゛ー、待ちわびたよぉー!

ユッケジャンのお味は


ただメウンなおかずを食べるんだから、パプ(ご飯)のおかわりが欲しかったな。

ちなみに韓国では、パプはテーブルに置いたままスプーンで食べるのが作法らしい。
…んだけど、日本人である僕はいつも日本の作法通り、お鋺を手に取ってお箸で食べてます。
スプーンを使うのはスープを啜る時くらい。
できたら金鋺じゃなくてご飯茶碗で、お箸も金箸じゃなくて木の塗り箸か割り箸で食べたいところ。
そしてスプーンではなくてれんげの方が更にいいんだけど。
うーん、郷に入れども郷に従わず、だなー。

さて、こうしてメウンなユッケジャンをヒーヒーハフハフしながら食べ、
メッチュをグビグビ呑んでいると、20:00を過ぎた頃、

突然イケイケK-POP姉ちゃんがステージに上がり、歌謡ショーが始まりました。

するとショーを待ちわびていた観客もノリノリ。
目の前にいたおばさん、座っていられずに勝手に前に出て、一緒に歌って踊りだしました。
「そっかー。こんなイベントがあるからステージ近くのテーブルは人気の特等席だったわけか。
なるほどね~。

その後も、(たかじん+小室)÷2、賛歌を歌うオッサン、ギターデュオ、2ギター&キーボード、
といった人達が、各グループ10~15分・2~3曲のペースでとっかえひっかえステージに上がります。
それにしても。
彼ら、とっても上手い。
とても「おらが街の歌謡大会」レベルの腕前ではないんです。
アマチュアとはとても思えないし、
かといってこんだけ大勢のプロが、たかが(失礼!)一隻の船に集められるなんて…
あとこのステージって、毎便実施されているの?
だったら『パンスタードリーム』のワンナイトクルーズステージに、勝るとも劣らないレベルだし。

「こいつら一体何者~?そしてこれ毎便やってるの~?スッゲー疑問。

ということで、またまたインフォメーションに行き、
「あのー、今歌っている彼らって、一体どんな人達なんですか?」
って聞いてみると、
それなりの組合に登録されている、アマプロ歌手の皆さんなんだそうな。
なるほどー。 だからこれだけ歌唱力があるのだな。
もしかすると彼らへのギャラは、往復のツアー代免除という、いわば現物支給だったりして。
(↑これは勝手な想像です。)
そして、
「このステージは毎便行われているんですか?」
とも聞いてみると、すると流石にこの便限りの特別なイベントとのこと。
まぁそうだろーなー。
でもでもとっても聴き甲斐があるんで、メッチュもどんどん進みます。グビグビ~。



そして歌謡ショーは、ド演歌(韓国語)おばさんがステージに上がり、
こぶしを利かせて歌いだすと…、
ホールのボルテージは最高潮に!


多くの観客の皆さんが座ってられなくてフロントダンサーズと化し、
おばさんを取り囲んで踊ったり、おばさんそっちのけで勝手に踊ってたり。

 

他の歌手が歌っている時に、そのド演歌おばさんとK-POP姉ちゃんが二人連れ立って、
僕と同じテーブルの席に座っていた韓国人グループの所まで挨拶しにやって来ました。
「私のステージどうだったぁ~?」
みたいなことをきっと話していたんでしょう。
そしてこの後、韓国焼酎を注がせて乾杯イッキしてました。
もしかすると仲間同士とか、家族総出で乗り込んでるのかな?
そうすれば歌う本人のギャラはツアー代で現物支給だったとしても(注:勝手な想像)、
聴いている仲間や家族のツアー代は売り上げになるわけで。
だとしたら、この便は仲間内の歌謡大会ツアー船だったのかぁ~?

そして21:20頃より第二部、ノレバン(カラオケ)タイムに突入~。
歌っている人は、これまでとはうって変わってパーフェクトなパンピー(一般人)。
なんで歌唱力の方は…、中には上手な人もいたけど………。

でもでもテンションでは全然負けてません。
これはフロントダンサーズの中にいたおばさん。もうノリノリです。

歌っている皆さん皆さん、全員ノリノリ。
MCの兄ちゃんに紹介されると、待ってました!とばかりにステージに上がり絶唱します。
それにしても、サックスの生演奏をバックに歌うのはキモチイイだろ~な~ぁ。
僕もマイクハナサーズの一人。
今でもたまにオールナイトすることがあるし、
かつてはカラオケ検索本の新譜ページにある曲しか歌わなかった男。
カラオケ好きに国籍は関係なし!
なのでみんなの気持ち、よ~くわかります。ウンウン。

最初に歌ったおじさんとおばさんは、
自分達の順番が終わっても、ハイテンションでノリノリのまま。
おじさんは歌に合わせてチークを踊りだすし、
おばさんは座わってもまだ踊ってるし。

ド演歌おばさんとK-POP姉ちゃんは別マイクを持ち、
合いの手を入れたりしてショーをますます盛り上げていきます。
こんな感じでノレバン大会はエンドレス…
インフォメーションで終了予定時刻を聞いてみると、
ぬぁ~んと!23:00頃まで延々と続く、とのこと。
「うわー!流石にこんな状況、これ以上はもうたまらん!
ということで、ちょうどデジカメの電池が切れたこともあったんで、22:00頃撤収することに。

でもでも僕もみんなの熱唱を聴きながら、何だかんだで缶メッチュ4本も空けちゃった。
いやぁ~、とっても楽しいイベントでした。


んで、23:00ちょっと前のイベント終了直前にホールを通りかかってみると…

みんなのテンションはもう、これ以上ないというところまで逝っちゃっていて…
文字通り

でした。

んでんで、会が23:00になってお開きになったのかというと、さにあらず。
「サー!夜は長いゾ!まだまだこれからだゼ~ッ!!
ってことで、有志達はそのまま船尾にあるノレバンでの2次会に突入していきました。
ということで、今回は貸切ということで室内に入っての撮影はさせてもらえなかったので、
みんながまだホールで歌っている頃、ドアの小窓のガラス越しに室内をパチリ。
ちなみに料金は1時間30000Wだそうな。
(いわゆる飲み放題セットの料金なのかな?)

さて、ちょっと話は前後するんだけど…
僕がノレバン大会を抜け出して船尾にあるノレバンルームの写真を撮りに行った時、
ゲーム機の横を通り過ぎると少年がゲームをしていました。
で、何気なく写真をパチリ。

その後、僕がノレバン大会から撤収して部屋に戻る前、
またまたインフォメーションでパーサーのお姉さんとたわいのない世間話をしていると…
「えきゅすきゅーずみー?
僕に一人の少年が話しかけてきました。
見ると先程ゲームをしていた、サッカーのユニフォームを着た少年。
彼は何か言いたかったんだろうけど、韓国語じゃぁ僕がわからないし、
英語では言いたいことを伝えられず…(どうせ話されても、僕が英語も聞き取れなかったんだけど)。
で、彼が握りしめていた右手を広げると、そこには50円玉が6枚乗っていました。

僕は一瞬考えたんだけど、
「ああそうか。もう明日は帰国なんで円はいらないから、ウォンに両替して欲しいんだな。」
と勝手に解釈し、財布から1000ウォン札を3枚出して渡そうとすると…

彼は首を横に振り、僕の袖を引っ張って…

先程のゲーム機の前に連れて行きました。
「なーるほど!
50円玉ではゲームができないから、100円玉に換えて欲しい、ということか。」
と納得。
そこで再び財布を見たんだけど、残念ながら100円玉は2枚しか入ってなくて。
そこで1000円札を取り出し、両替しようとしたんだけど…
「見ず知らずの日本人に話しかける、その心意気や、好し!
ということで、
「OK、OK。イルチョンエン(1000円)プレゼント!
そのかわりオールボーイでゲームプレイするんだぞ。OK?」
ということで、サッカー少年に1000円札を進呈。
すると少年ははじめポカーンとした顔をしてたんだけど、理解すると
「ウォォォー!
と大声出して喜びながら1000円札をかざし、友達を振り切ってどこかへ走り去っていきました。
そして、
「ペグ(100)円玉もトゥル(2枚)、プレゼント!」
あった100円玉も小さい子優先であげて、
「はい、キームーチ!」
と記念撮影したのがこの写真。

その後、就寝前に洗面所に歯を磨きに行くと、先程のサッカー少年と再びバッタリ。
そこでまたまた、ウエストサイズ通りに太っ腹にもスポーツドリンクをおごってあげて、しばし世間話。
彼はそのまんまのサッカー少年で、話す話題ももちろんサッカーのことで、
この旅行の直前に行われたアジアカップのこととか、日本代表の本田選手のこととか。
(なるべく日本に関する話題にしてくれていたんだろうけど…。)
僕もアジアカップの日韓戦(延長戦→PK戦→日本勝利)はたまたま見てたんで、
「イルボンvsハンググゲーム、ナイスファイト!(日韓戦、いい試合だったね!)」
ぐらいは話についていけたんだけど、残念ながらそれ以上のサッカー知識がなくて…。
それでも、
 イルボン、ハンググ、ベストライバル、アンド、ベストパートナー、フューチャー。
(日本と韓国はいいライバルだけど、未来は良き相棒だぜ。と言いたいつもり。)」
と言ったら、
「ウンウン。
と頷いてくれました。

少しは日韓の架け橋の役に立ったかな?ということで、
この日は気分よく眠りにつくことができて…。


お早うございます。
昨晩寝る前にお風呂に行くと、ガキどもが湯船の中で泳いで遊んでいたんで、
乗船直前に温泉銭湯に入ってきたこともあったんでパスし、早起きして朝風呂にやって来ました。
で、湯船に入ろうとすると…、
「ち、ちびたーい!
一晩の内にお湯が冷めちゃてて、とても入れたもんじゃない。
「うわー、マジかよ…
仕方なしに朝シャンだけでもしようとしたんだけど…
「ウォッ!あっちぃ~!と思ったら、今度はちびた~い!
シャワーから出てくるお湯の温度がとっても不安定で、
何度いい温度に調整し直しても、熱くなったり冷たくなったり、の繰り返し。
うーん、残念ながらイマイチな朝風呂でした。

 

「お腹が空いたよう…。
ということで朝食を食べにレストランに。
例によって韓国人団体客が大勢食べてるんだけど、個人客は7:20から、とのこと。
で、またインフォメーションの横でスタンバってたんだけど…
………………………………………………………………結局呼ばれたのは7:50過ぎ。

もちろん実際にやったら喰いっぱぐれるからやらないけど、ちゃぶ台ひっくり返したい気持ちに。
昨夜は注文してからが長かった。今朝は注文するまでが長かった。
朝と空腹時の5分は平時の15分。
なら、朝の空腹時の30分はいったい平時の何分になるんだあ?
いくらなんでも、ちょおぃと待たせ過ぎ。
結局律儀にレストランで朝食を注文した個人客は、僕と1カップルの3人だけ。
僕も旅日記を書くという目的がなければ、とっくにコンビニで何か買って空腹を満たしていただろーな。
ちなみに注文したのはプゴクク=干し明太汁セット7000W。
明太子はタラコ、なので明太とは鱈。の干したヤツのスープ。
お味はダシが利いてて、無難に美味しかったけど。


ようやくお腹も満たされたんで、甲板に出てみることに。
「今日も雲一つないいい天気だぜい。ラッキー!
船はもう麗水(ヨス)の沖合いを航行していて、じきに光陽港へ入港しました。

港では李舜臣(イ・スンシン)大橋という、かなり大きな吊り橋が今まさに建設中。
「また名前に『李舜臣』を付けたのかよ~。」
とは言うことなかれ。
この海は露梁津(ろりょうつ/ノリャンス)と呼ばれ、
秀吉の朝鮮出兵時、日本水軍と李舜臣将軍率いる朝鮮・明水軍が露梁海戦を行った場所。
なのでここにはちゃんと謂れがあるんです。
(この辺の詳しい話はパート3「大要塞!順天倭城(仮題)」でやるんじゃないかな。)

さて李舜臣大橋は、途中猫島を経由して麗水に抜ける高速道路に架かる橋。
完工予定は、2012年5月に開幕する麗水世界博覧会直前の4月。
完成により、光陽-麗水の所要時間は約1時間10分も短縮されるんだそうな。
そして橋のスペックは、全長2260m・中央支間1545m・主塔高272m。
コンクリート製の主塔としては世界一の高さ、中央支間長も世界第4位の橋になるんだとか。

ちなみに世界最長の明石海峡大橋のスペックは、
全長3911m・中央支間1991m・主塔高298m(鋼鉄製)、なんだけど、
実は長大吊り橋施工技術を持つ国は、米・日・独・英・中のわずか5カ国だけなんだとか。
そこでこれまでの韓国での吊り橋建設では、韓国企業が行えるのは基礎土木工事のみ。
他国の企業が橋を建設していくのを、指を咥えて見てることしかできなかったんだけど、
この李舜臣大橋の建設は、「MADE IN KOREA」100%。
なので完工すれば、韓国は世界で6番目の長大吊り橋施工技術自立国となり、
この橋は韓国の技術力を世界に知らしめるシンボルとなる、というわけで。
だけど実績もないのにケツカッチンな建設スケジュール、大丈夫かな~?

こちらがパーサーのお姉様方「スリービューティ」。
下船直前に写真を撮らせて頂きました。カムサハムニダ~!(ありがとう~!)
またお会いできることを楽しみにしています!

この『光陽ビーチ』、
今回は100%アウェイな環境だったんだけど、
パーサーのお姉様方はじめ、スタッフの皆さんとても親切でした。
雰囲気もとってもアットホームな感じがしたし。
ただし、お風呂とレストランの個人客に対する対応は、もっと何とかして欲しいものです。

2012年は麗水世界博覧会も開催されます。
もし全羅道方面に所用があったり旅行の予定があったら、
釜山経由だけでなく、光陽フェリーで行ってみるのも一興かと。

ところで、乗船から3週間後、東日本大震災という想定外の事象が発生。
『光陽ビーチ』を取り巻く環境は一変してしまいました。
当初の計画通り、というわけには行かないでしょうが、
これからの光陽-下関航路の発展を願いたいと思います。

ということで、これにて『光陽ビーチ』の船旅も終わり。
「さぁ、光陽港に上陸だ!
これから順天倭城(スンチョンウェソン)まで、ちょっくら行ってくるか!」

このページのトップへ戻る

文章・写真共にはにーさんの著作です。