東海(トンへ)駅から東海港は数百m。普段ならもちろん歩いて行く距離なんだけど、
大雨の中を大荷物抱えての移動は嫌なので、駅前に停まっているタクシーで行くことに。
運ちゃんは「港ならすぐそこだよ。」と多分韓国語でブツクサ言ってたみたいだけど、そこをお願いして。
もちろんものの1~2分、初乗り2200W(175円)にチップ100W(8円)上乗せして
東海港国際旅客ターミナルに到着です。
さてこれから乗るのは、DBSクルーズフェリー運航の『イースタンドリーム号』。
ウラジオストック(ロシア)⇔東海(韓国)⇔境港(日本)の3ヶ国にまたがる日本海横断航路で、
東海を基点に、ウラジオストックに1往復/週、境港に2往復/週しています。
そして今回はこの東海→境港航路にて帰国しようとしているのです。
ソウル・釜山以外からの帰国はこれが初めて。
ちなみに韓国で『東海(トンヘ)』というのは、『日本海』のこと。
朝鮮半島の東側にある海なので、『東海』というわけです。
韓国および北朝鮮は、
「『日本海(Sea of Japan)』は、
1904年の日露戦争以降に日本の国際的立場が高まるにつれて急速に普及した名称で、
20世紀前半の日本の帝国主義・植民地主義の結果であり、未だ国際的に定着した名称ではない。」
とし、
「ヨーロッパに『北海(North Sea)』の例もあるので、『東海(East Sea)』と呼称すべき。」
と主張しています。
ただし同様に『西海』・『南海』と呼ぶ海を、
「『黄海』・『東シナ海』と呼ぶのはけしからん。」
と、中国には抗議してはいないので、
いつもながらの『日本』という文字に対してのアレルギーのようです。
対する日本側は
「『日本海』が定着したのは鎖国をしていた江戸時代の頃で、
なので日本が命名したり無理やり押し付けたわけではなく、既に国際的にも定着している。」
と主張。
対日関係ではよく韓国とタッグを組む中国も、
この海のことは『日本海』と呼んでいるようで(中国で『東海』というと『東シナ海』を指す)、
韓国側の主張は世界からも無視されているようです。
何はともあれ少なくとも愛知県民にとっては、県内には『東海市(とうかいし)』もあるし、
『OO東海』『東海OO』はとっても身近なフレーズ。
中部地方所属より、『東海地方』所属の方が、しっくりしてて違和感ないです。
そして『日本海』は、旅行して訪れるべき、ちょっと縁遠い海で、
『日本海』を身近にしている北陸地方とは、中部地方として一緒に括られることがあるけど、
実はぜんぜん身近じゃない感覚。
なので『日本海』=『東海』といわれてもねー。
全然実感湧きませんや。
旅客ターミナルに一歩入ると、鳥取県各地の観光地のポスターと幟(のぼり)がお出迎え。
たぶんこの航路の利用客のほとんどが、韓国から鳥取へのツアー客。
日本人がハングルを読めないように、
韓国人もひらがな・カタカナは読めないでしょうが(漢字は韓国でも使う)、
読めない文字だからこそ、逆に異国気分をかきたてるという面も。
なので韓国人観光客の皆さんはこれらのポスターを見て、
いやがおうにもテンションが上がってきているんでしょうね。
DBSクルーズフェリーの窓口は入り口を入ってすぐ左。
日本側の到着港である境港の事務所に電話予約を入れてはあるんだけど、大丈夫かな?
そこで窓口にいたおねーさんに話しかけることに。
「よぼせよ、ちょぬん いるぼんさらむ…(あのう、私日本人なんですが…)」
すると
「日本人の方ですね。」
お、このおねーさん日本語ペラペラだ。
「あのー、境港の方に電話でスタンダードAの予約を入れたはにー(仮)なんですけど…」
「はにー(仮)様ですね。
…承っております 。運賃とは別にターミナル使用料などがかかります。」
「観光なんちゃら基金、てやつだね。合わせて2100W。」
東海港からの出国時、ターミナル使用料1100W、観光振興開発基金1000W、
合わせて2100W(167円)が運賃とは別に必要なのは予習済み。
ということで財布から2100Wを支払います。すると
「はい。どうぞ。」
チケットをくれました。
えっ、いいの!?
「あのー、日本では予約入れただけで、まだ運賃払ってないんですけど…」
「えっ、そうなんですか。それは大変失礼しました。」
今度はおねーさんが驚く番。おおらかだなぁ。
「あのー、チケット往復で買いたいんですけど…」
韓国旅行のセオリーとして、『現地で買った往復チケットで帰国』というのがあります。
例えばこの境港-東海航路のスタンダードAのチケットを
東海港で境港行きの片道を買うと10万W(※当時,7943円)。
ところが境港で反対の東海行きの片道を買うと9000円。
なんで韓国から片道で買って帰ってくるだけでも安いんですが、
東海→境港→東海の往復で買うと16万W(12709円)。
ということで次回、境港→東海を差額6万W・円換算すると4766円と、
片道運賃のほぼ半額で韓国に渡れるわけです。こいつはオイシイ。
そして今回実はそれ以上にも狙ってたことがあったんですが…
「往復で購入だと、有効期限は6ヶ月になりますがよろしいですか?」
あ、あれ?話が違うぞ?!
時間は境港に電話予約を入れた3週間前に遡ります。
「現地東海港で往復でチケット買って日本に帰ってきたいんだけど、
復路をOPENにした時の有効期限は1年でいいですか?」
『復路をOPEN』とは、帰国日(日本人にとっては再訪韓日)を決めないで往復チケットを購入すること。
これだと有効期限内ならいつでも韓国を訪れることができるのだ。
ところが回答は、
「うーん、有効期限、まだ決めてないんですよ。」
「ということは、無期限?」
「そうゆうことになりますね。」
なんと、銀河鉄道999くらいにしかない、無期限のきっぷだー(笑)。
…なんて勝手に盛り上がってたのになー。
半年かぁ。あれ以降に決まったのかな?
無期限なら、いつかは乗りに来るかもしれないと思ってたんだけど、
でも、家に帰れば釜山・金海空港行きの復路1年OPEN(来年のGWまで)の航空券がまだ残ってるし、
6ヶ月以内というと、タイミング的には日本海の荒波を横断する冬休みくらいしか…
となると復路利用する可能性は皆無。
「なら片道でいいです。」
往復購入はあきらめ、片道で購入することにして10万W支払いました。
何はともあれチケットゲット。
そしてイミグレの前の待合室に行くと、
「なんじゃこりゃー!」
出港を待っ韓国人がうじゃらうじゃらといました。
この『境港-東海』航路、今のところ実は奇跡の航路なんです。
現在日本と韓国を結ぶ航路と、その最低運賃は、(ターミナル使用料・燃油サーチャージ等を除いて)
航路名 船種 最低運賃
新潟 -束草 フェリー 16700円
大阪 -釜山 フェリー 16000円
博多 -釜山 高速船 13000円
下関 -釜山 フェリー 9000円
博多 -釜山 フェリー 9000円
境港 -東海 フェリー 8000円(※当時)
厳原 -釜山 高速船 7900円
比田勝-釜山 高速船 6900円
とりあえず日本円運賃で並べてみましたけど、釜山から至近の対馬(厳原・比田勝)2航路を除けば、
本州発着だと『境港-東海』が最安運賃なのです。
(※就航から2ヶ月限定の大盤振る舞いの記念運賃だったみたい。
現在ではちょっと値上げされてて8500円。ただしそれでも本州最安は変わらず。)
そして(下記『新潟ー束草』を除き)釜山以外からの唯一の航路で、
ソウル-東海のバスでの所要時間は3:25。
昼過ぎに集合すれば、十分夕方の出港時間に間に合います。
ということで、(たぶんソウル近郊在住の)韓国人ツアー客で満員なわけで。
またここ数年、強いウォン背景に、韓日航路が次々と開設されました。
それら航路がどうなったかというと…
航路 開設 休止・廃止
門司-釜山 08年 6月 08年 8月
金沢-釜山 08年 6月 08年10月
神戸-釜山 08年12月 09年 4月 12月:就航延期、2~3月:船舶故障により寄港中止
新潟-束草 09年 6月 09年 9月
境港-東海 09年 6月 就航中
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大阪-釜山 07年 4月 09年 4月 ※この期間1→3隻・週3→6便体制へ
現在1隻・週3便体制に戻る
航路計画を立てた頃、確かにウォンは飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
しかしいざ就航してみると、昨年前半には『オイルショック』による燃料油の暴騰、
秋には『リーマンショック』によるウォンの暴落。
このダブルショックにより、この『境港-東海』を除く全ての航路が、
半年ともたず瞬殺で討死してしまいました。
(『境港-東海』航路もまだ半年経ってないので、可能性十分あり。)
2002年のサッカー日韓ワールドカップ開催時にも新規航路開設ブームがありましたが、
この時の航路は短命な奴でも2~3年はもったのに。
例えば『新潟-束草(ソクチョ)-ザルビノ』航路。
くしくも『境港-東海-ウラジオストック』航路と同じ’09年6月29日に開設された日本海横断航路で、
日韓露3国&ロシア→中国をバス移動という、4ヶ国にもわたる壮大な航路でした。
しかしレンタル予定の客船の傭船交渉が、金銭面の折り合いがつかずに就航直前になって破談。
初航海こそ手持ちの船でしのいで(別航路就役中の船を無理やり引っ張ってきて)
航路開設セレモニーをやったんだけど、第2便からは就役船未定のため運休。
ようやく1ヶ月後に別の客船を2ヶ月限定で借りられたんだけど、
こんな出航するかどうかもわからん航路に客も貨物も集まるわけがなく、
2ヶ月半で10往復する予定が、実際は5往復しか運航できず。
そうのこうのしてるうちに、やっと借りられた船のレンタル期間もあっという間に終わってしまい、
なのにその次の船はまたまた白紙の未定状態。
なあんていうことがあって、早々と航路休止してしまいました。
じゃあこの『境港-東海-ウラジオストック』航路が黒字なのかというと、さにあらず。
アテしていた日→露の中古車輸出がロシア側の規制強化で不発となり、
「運航の初期段階は、厳しい経済状況もあって旅客や貨物の確保の苦戦が予想される。」
ということで、『東海→境港』1往復につき運航経費の1割相当の100万円、
年間にすると9600万円もの補助金が、 3年間に渡って、
鳥取県と米子市・境港市などの5市町から支給されることになりました。そして
「運休することなく安定運航を続け、信頼を得ることが先決。
人が集まれば、そのうち貨物も集まってくる。」
ということで安い旅客運賃が設定され、
確かにそのおかげでこれだけ人は集まって満員御礼状態なんだけど、
貨物については初航海時に、
「なんとか貨物が集まって、カラ船じゃなくてよかった。」
なんて鳥取県知事がコメントしてるくらいだから予測通りガラガラと思われ、
1往復あたり700万円ずつの赤字なんだとか。
旅客収入なんて貨物収入に比べたら、微々たるものだからね。
言ってみれば、産まれたばかりの乳児が、
お母さんのおっぱい(貨物)を飲みたいんだけど、母乳の出が悪い(貨物がない)んで粉ミルク(旅客)だけ。
それでは生命維持も危ういんで、点滴(補助金)で栄養補給。こんな状況でしょうか。
3年の間に、文字通り自分の力だけで喰ってけるようになるまでに育つんでしょうかねー。
フェリーの出港予定時刻は午後6時。
そしておねーさんの話では乗船手続き開始は4時からとのこと。
それまでは特にやることありません。
ターミナル内の行く所たって、ファジャンシル(化粧室)の他には
お菓子類を売ってる売店ぐらいで、特に買いたい物もないし。
あとは待合室の一角にあるPCコーナーくらいでしょうか。
韓国は日本以上のネット社会。
なので街中のいたる所にPC部屋(PCバン)=ネットカフェがあります。
そして街頭PCもあります。釜山港・釜山駅にもありました。
(通常コイン式時間制有料。東海港の物はUSB付きで無料だったみたい。)
でも、当たり前なんだけど、これらにあるPCってハングル入力しかできない!(アルファベットならできるけど。)
なのでこのPCに座っても、Yahoo!JAPANやGoogleの表紙からリンクできる所くらいしか見えません。
こんなんだったら日本語入力システムがダウンロードできるサイト、あらかじめ調べとくんだったなぁ。
少なくともUSBメモリーに『お気に入り』をコピーしておくとか。
ヒマなんで、おねーさんに空いてる時を見計らって、話しかけてみました。
「日本人って何人くらい乗る予定なんです?」
「30人くらいですね。」
「えっ?そんなにも乗るんですか?」
見渡す限り韓国人しかいないのに。
「いえいえ、これでも少ないですよ。
韓国人ばかりが日本に行って帰ってくるんで、日本人が韓国に渡って来られる空席が確保できないんです。
なので日本人にもっと来てもらいたいと思っている東海市から怒られてるんです。」
ほー、なるほどねー。
確かにこの間にもターミナル前には観光バスがひっきりなしに停まり、
韓国各地から拾い集めてきた韓国人をワラワラと吐き出していきます。
ターミナル外のどこか他の場所へ行くったって、隣にあるDBSの社屋くらいで行く所なし。
行ってみたけど玄関に、よくありがちな特徴のない特産品がガラスケースに陳列してあるくらいで、
それ以外特に何もなし。
どのみち雨の中をどっかに行きたくもないし。
と、ターミナル前でやることもなしにボーッとしてると、
『Y旅行 韓国横断旅行5日間』
と書かれたバスが1台入ってきました。
「あ、さっき言ってた30人の日本人ってこれのことだな。」
そこでちょうどバスから降りてきた一組の年配のご夫婦に、
「あのー、僕は個人旅行で来た日本人なんですけど、このツアーってどんな内容なんですか?」
って尋ねてみました。
すると日韓往復にこのフェリーを使い、バスで東海⇔ソウルを往復。
ソウル市内の鉄板な観光地と、東海⇔ソウルの途中にある観光地を巡る、とのことらしい。
うん、確かに韓国を横断しているなぁ。
「僕は逆(?)に釜山から上陸して、韓国東海岸を北上、縦断してきたんです。」
ツアー客の人達と、しばし暇つぶしの雑談をしました。すると、
「行きの船の中、韓国人達が通路で宴会始めたのは、あれには参った。」
「知らない人達と相部屋だからなぁ。」
(通常のフェリーを組み込んだツアーって上等級船室を使うものなんだけど、このツアーはそうではないらしい。)
などなど。そして
「お風呂に入れないのがねー。」
お風呂に入れない?船内にはちゃんと浴室もあって、たしかシャワールームもあったはず。
乗客の全員が浴室にドッと押し掛け、満員で満足に入れない、ってことか?
「どういうことです?」って聞くと、
「入ってみれば解りますよ。」という意味深なセリフ。
どうもこのツアー、この船を利用していることにより、あまり好評なものではないらしい…
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追記
この旅行記を書くに当たり、Y旅行社のHPでこのツアーの情報を調べようとしたんだけど、ない。
検索かけてみると『ページが見つかりません』って。
旅行から帰った直後に見た時はちゃんと募集してたんだけどなぁ。
どうもこのツアー、継続されなかったようです。
夏休み限定のツアーだったのか?それとも…?
4時から乗船手続き開始ということだったんだけど、時間になっても全然始まる気配なし。
そしてようやく4時半を過ぎた頃、乗船手続きが始まったんだけど、遅々として全然進まない。
イミグレの前に陣取ったDBSのオッサンが、
「ピッ。」
バーコードスキャナーを片手に、一人一人のチケットのバーコードを地道に読み取っているんです。
並んでも進まないし、かといって座っていてもやることないし。
で、並びたくないんでしばらく座っていたけど、でもとうとう待ちきれなくて列に並んじゃった。
こうして手続き開始から40分くらい経って、ようやく僕のチケットのバーコードが読み取られました。
こんなことだったらPCで、たぶん入っているだろうフリーセルかマインスイーパーでもして、時間潰してるんだったかなぁ。
それなら日本語要らなかったし。
(でもそんなことしてたら、自分の寝場所なかったかも…↓)
イミグレも何事もなく通過し、岸壁からはこのクレーンで吊られたタラップでの乗船です。
だけどそのすぐ横にはこんな立派なボーディングブリッジがあるのに、何でこれ使わないかなー。
そうすれば、雨に濡れずにすむのに。
もしブリッジと乗下船口の位置がずれていて使えないなら、
『基点港=母港』での乗下船になるわけだから、
船を大金かけて改造したらしいんだけど、何で真っ先にこういう所を改造しないのかなー。
晴れてれば船首方向からの写真も撮ったんだろうけど、
雨に濡れたくなかったんで、雨宿りできる所から船腹のみの撮影。
さて僕は基本的に雑魚寝はイヤなので、
たったカーテン1枚ですけどプライベートスペースが確保される、通常2段ベッドの2等寝台をチョィスします。
で『イースタンドリーム』号の場合、それはスタンダードAというカテゴリーになります。
で僕の指定された部屋&席は、2204-2。
で2204室のドアをあけると、
「いらっしゃ~い。」
いらっしゃ~い?
見ると先程話しかけたツアー客のおじさんが。
いや、そんなことはどーでもよくて、2段ベッドは?カーテンは?
というか、ここは4人雑魚寝部屋ぢゃないかぁ~。
ところがところが、スタンダードAというカテゴリーには2段ベッドの他にこの4人フロア部屋の設定もあって、
料金的には何ら間違ってない。
でもでも、僕が予約を入れたのはあくまでも2段ベッド→スタンダードAだったわけで、
スタンダードA=フロア部屋では絶対ない!
「どーゆーこった?」
ということでインフォメーションに行くと、
こういうトラブルは僕だけじゃなく、なんだかよくわからんけど何人もの先客が。
じゃああのイミグレ前のバーコード読み取り作業は、一体何の役に立ったんだ?何の意味があったんだ?
そんなことを思いつつ自分の順番を待ち、しばらくしてようやく僕のクレームタイムが回ってきました。
「スタンダードAなんだけど、ベッドルームで予約したのにフロアルームを指定されたんだけど。」
ここで通常日本なら
「それは誠にどうもすみません…」
というような言葉から返ってくるんだろうけど、この船も韓国の一部。
「でもベッドルームよりフロアルームの方が広々としてますよ。部屋にはテレビもありますし。」
一切『謝』な言葉なし。というより、
「せっかく日本人に配慮して広々としたフロアルームの方を回してやっているのに、
テメエ何の不満があるんだ?」
という、目力がスゴイ。
僕らのすぐ横では、別の船員と韓国人ツアコンが詰将棋を解くが如く、
ツアー客名簿と船室配置図をにらめっこしながら、
「あーでもない、こーでもない」と、部屋割りの大戦略会議中という状況であり、
(てか、この時点になって部屋割りやってるのって、遅すぎやしないか?)
どうも僕の様な個人客一人一人の『些細な不満』に対応してもらえる気配では全くなかったので、
全面降伏して退散とあいなりました。
インフォメーションの隣には、ファミリーマートが。
だけどまだまだ買い物できる状態になさそうなのは一目瞭然。
なんだかこの船、全体的に段取り悪そう。
いや、悪いなぁ…。
そして『その3の2』で紹介するんだけど、パブリックスペースも見たところ、なんだかとってもこじんまりした感じ。
フロア部屋に戻る前に、あえてスタンダードAのベッドルームの前を通り、
たまたま開いてたドアから室内の写真を撮ってみました。
するとインサイドで窓もなく、確かに狭っ苦しい感じが。
ま、フロア部屋は雑魚寝だけど、同部屋になる他の3人は日本人みたいだし、
韓国人の中にただ一人放り込まるわけじゃないから、よしとするか。
…と自分を納得させて部屋に戻ってみると、さっきのツアー客のおじさんが、
「儂、どうもこの部屋じゃないみたいだ。」
と、部屋を出ていこうとしているところでした。
どうも僕がインフォメーションに行って戻ってくる間にツアコンがやって来て、
『大戦略』の結論の結果として、部屋の移動を指示されたらしい。
そうしてしばらくすると今度は韓国人客が、韓国人ツアコンに連れられて部屋に入ってきました。
「#&*@※◎=~÷%$〇×!!」
(↑「俺に日本人の中で一人で寝ろっていうのか!!」、と言っていると思われる。)
ということで、さすがにすぐ出て行ったけど。
しかしこれはヤバイなー。
船内の探検に行きたいところだけど、こんな状況では、
下手にウロウロして部屋に帰ってきたら自分の居場所がなくなってる、
なんてことも十分ありえるな。
うーん、これは久々の『奴隷船』(と僕が呼ぶサービスが最低な船のこと。)か?
ちなみに僕がこれまで『奴隷船』と認定したのは、
かつて大阪南港⇔高知を結んでいた『フェリーこうち』ただ一隻のみ。
この船は新造船だったんだけど、
ハード(設備)面では船室・公室とも必要以上に合理化してしまった船で、
旅客スペースは1デッキしかなくて、
2等寝台以上のカテゴリーの定員も少なく、すぐに予約で埋まってしまうので、
どうしても2等を利用せざるを得ないんだけど、
2等室としては大部屋という割にはとても小ぶりの部屋があるだけでした。
↑ フェリーこうち とその2等室の全部
そしてソフト(運用)面では、小さな大部屋(←変な日本語!)しかないのに
そろそろ世間一般でも禁煙・分煙が叫ばれだしてきた頃だったんだけど、
部屋の真ん中に大型鉄製灰皿がでんでーんと置かれていて、
そんな世間の流れには全くお構いなしでした。
その上、他の航路の2等室ではよくやられている、
敷き毛布と枕を規則的に等間隔で並べて一人一人のスペースを指定する、
なんてことも全くなされておらず、
なので乗客は早い者勝ちで思い思いの方向に頭を向けて寝っ転がるので、デッドスペースも多く、
まだまだ出港まで時間があっても、少しでも遅い時間に乗ってきた乗客は部屋から溢れてしまい、
1枚50円の毛布を沢山借りて通路やロビーに毛布を敷いて寝たり、
ロビーのソファやスナックコーナーの椅子を占拠したりして、
自分の居場所を確保せざるを得ないはめに。
また浴室も「2等寝台以上の客のみ」という利用制限があったため、
パブリックスペースにエスケープゾーンが全くない、という状況でした。
またある時は、大部屋中央で車座になって大宴会を開いてた土佐弁丸出しのオッサン達が、
さて寝ようとすると当然のごとく寝るスペースなんぞもうなくて、
夜中じゅう大声で騒ぎ喚いて…なんてこともありました。
今回のこの『イースタンドリーム』号、
これまでの段取りの悪さと、パブリックスペースのこじんまり感、
そしてツアーのおじさんの言っていた「韓国人達が通路で宴会を始めた」がこれから実際に行われるんなら、
まさに『フェリーこうち』に瓜二つ。
『奴隷船』としての資格は十分なんだけど。
果たして本当に2隻目に認定されてしまうのか?
しばらくするとさっきのツアーのおじさんが、
「儂、結局この部屋でよかったみたい。」
と、部屋に戻ってきました。
それからは何事もなく、出港時刻に。
うーん、これが国内航路だったら、
「ジャ~ン、ジャンジャ~ン!」
なんていう銅鑼を敲(たた)く録音の後、
「皆様、本日はOOフェリーご利用ありがとうございます。本船はまもなく××港を出港いたします。」
なんて船内放送が入るものなんだけどなぁ。なんっにもないんだよなぁ。
船内のパタパタ感を代弁するかのごとく、
先程からひっきりなしに韓国語による業務連絡放送が飛び交っています。
しかし韓国人乗客に向けたウエルカム放送もなかったみたい。
(口調が違うので、あればそれくらいはわかる。)
韓日露3国にまたがる国際航路なんだから、
韓国語・日本語・ロシア語、そして国際公用語である英語の
4ヶ国語による放送が入っても然るべきだと思うんだけどなぁ。
甲板に出ると、船はもう離岸してました。
さようなら、トンヘ港!
なんて言う思い入れも全くもってないけど、また来る日まで。
果たして、日本からこの船に乗ってきてトンヘ港から韓国上陸、
または今回と同じパターンで、この船で帰国するために韓国内→トンヘ港でもいいや。
トンヘ港を再訪する機会がこれからあるのでしょうか?
それはまさに「神のみぞ知る」領域です。
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文章・写真共にはにーさんの著作です。